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東京地方裁判所 昭和37年(合わ)224号 判決

被告人 小山清治郎 外二三名

主文

一、被告人小山清治郎を懲役八月に、

被告人市瀬英男を懲役一年に、

被告人松山一郎を懲役一年に、

被告人坂元輝夫を罰金一〇万円に、

被告人谷コトを懲役六月に、

被告人西吉昭太郎を懲役一年に、

被告人小川二三を懲役八月に、

被告人森田憲一を懲役一年六月に、

被告人網代孝一を懲役一年六月に、

被告人矢嶋武雄を懲役一年に、

被告人外山幸三を罰金三〇万円に、

被告人荒畑俊郎を懲役一年に、

被告人清水ムラを懲役六月に、

被告人小林秀夫を懲役一〇月に、

被告人三田智三郎を懲役一年六月に、

被告人町田甫介を懲役一年に、

被告人山本泰昌を懲役一年に、

被告人斉藤典男を懲役一年に、

被告人竹川照男を懲役一年に、

被告人後藤威を懲役二年に、

被告人吉野佐七を懲役一年六月に、

被告人大沢泰一郎を懲役一年八月に、

被告人神谷仁子を懲役一年に、

被告人石村実を懲役五月に、

それぞれ処する。

一、但し、この裁判確定の日から、被告人小山清治郎、同谷コト、同小川二三、同清水ムラ、同小林秀夫、同石村実に対してはそれぞれ二年間、被告人松山一郎、同西吉昭太郎、同矢嶋武雄、同荒畑俊郎、同町田甫介、同山本泰昌、同斉藤典男、同竹川照男、同神谷仁子に対してはそれぞれ三年間、被告人森田憲一、同網代孝一に対してはそれぞれ四年間、被告人市瀬英男に対しては五年間、いずれも右各懲役刑の執行を猶予する。

一、被告人坂元輝夫、同外山幸三において、右罰金を支払わないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。

一、被告人吉野佐七からステレオ一台(東京地方検察庁で領置中のもの、昭和三七年東地領第七、一四四号の符号五三八号の一)を没収する。

一、被告人小林秀夫から金一二万六、六六六円、被告人三田智三郎から金七九万円、被告人町田甫介から金一四万円、被告人山本泰昌から金一〇万円、被告人斉藤典男から金二七万円、被告人竹川照男から金六万円、被告人後藤威から金一二八万円、被告人吉野佐七から金二九万円、被告人大沢泰一郎から金一一一万円、被告人神谷仁子から金三〇万円、被告人石村実から金二万〇、八四〇円を、それぞれ追徴する。

一、訴訟費用中、証人栗田直彦に支給した分は被告人小山清治郎、同市瀬英男の、証人増田孫次に支給した分は被告人三田智三郎、同森田憲一、同網代孝一の、証人和地俊治に支給した分(昭和三九年七月一五日公判の分)は被告人外山幸三、同三田智三郎、同大沢泰一郎、同吉野佐七の、証人尾崎マツ、同相沢昭次に支給した分は被告人松山一郎、同山本泰昌、同竹川照男、同斉藤典男の、証人山口清一に支給した分は被告人大沢泰一郎、同荒畑俊郎、同清水ムラの、証人納谷武志に支給した分は被告人石村実、同森田憲一の、証人池田マサ、同池田富吉、同吉森正男に支給した分は被告人網代孝一のそれぞれ負担とする。

一、被告人三田智三郎に対する公訴事実中、同被告人が、相被告人谷コトと共謀のうえ、相被告人後藤威に対し、昭和三四年一二月頃、現金五万円を贈賄したとの点(昭和三七年刑(わ)第三、二八七号事件の起訴状第一、六、(一)の事実)については、同被告人は無罪。

一、被告人森田憲一に対する公訴事実中、同被告人が相被告人石村実に対し、昭和三六年八月頃、現金一万円を贈賄したとの点(昭和三七年合(わ)第二三九号事件の起訴状第一、四、(三)、(イ)の事実)については、同被告人は無罪。

一、被告人石村実に対する公訴事実中、同被告人が相被告人森田憲一から、昭和三六年八月頃、現金一万円を収賄したとの点(右同事件の起訴状第二、六、(一)の事実)については、同被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人小山清治郎は、税理士で東京都北多摩郡国分寺町に小山税務会計事務所をおき税務代理並びに税務書類の作成事務、税務相談等の業務をしてきたもの、

被告人市瀬英男は、大蔵事務官として立川税務署等に勤務した後右小山事務所の事務員となり、右小山の業務を補助してきたもの、

被告人松山一郎は、大蔵事務官として八王子税務署等に勤務した後退職し、一時経理事務所に勤めたこともあり、日頃納税義務者らからの税務相談等に応じていたもの、

被告人坂元輝夫は、昭和三六年七月二五日夫金四郎の死亡によりその遺産を相続するに至つた篠む免の養女繁子の夫であるもの、

被告人谷コトは、文房具商を営み、昭和三四年九月九日夫茂十郎の死亡によりその遺産を相続するにいたつたもの、

被告人西吉昭太郎は、大蔵事務官として練馬税務署などに勤務していたが、昭和二九年に退職した後、不動産仲介業を営むかたわら相続税及び個人の資産再評価税等の納税義務者のため税務代理並びに税務書類の作成及び税務相談等に応じていたもの、

被告人小川二三は、大丸土地の屋号で不動産仲介業を営み、かねてから自己の仲介によつて不動産を譲渡した者及びその他の不動産譲渡人等の依頼に基き、同人らのため練馬税務署長に対し個人の資産再評価税の申告及び譲渡所得計算書等の提出事務等を行つていたもの、

被告人森田憲一は、東京都北多摩郡大和町町会議員をしていたもの、

被告人網代孝一は、同都北多摩郡村山町大字三ツ木五七番地に本店を有する網代製麦株式会社の取締役で、かねてから不動産売買仲介業を営んでいたもの、

被告人矢嶋武雄は、昭和三四年八月三日父伝吉の死亡によりその遺産を相続するに至つたもの、

被告人外山幸三は、税理士で税務代理並びに税務書類の作成事務、税務相談等の業務をしてきたもの、

被告人荒畑俊郎は、不動産仲介業をしていたもの、

被告人清水ムラは、昭和三六年一二月一四日東京テアトル株式会社に対し、自己の不動産を譲渡したことに伴い、昭和三七年三月一五日までに武蔵野税務署長宛に行うべき個人の再評価税の申告手続等を右荒畑に依頼していたもの、

被告人小林秀夫は、大蔵事務官で昭和三五年七月二〇日以降同三七年六月一六日本件収賄事件により懲戒免職となるまで、立川税務署所得税課資産税係員(係長)として、相続税、贈与税、個人の資産再評価税等の申告指導、賦課、減免、延納並びに之に伴う調査及び譲渡所得、山林所得の調査等の職務を担当していたもの、

被告人三田智三郎は、大蔵事務官で昭和三四年七月二一日以降同三七年六月一六日本件収賄事件により懲戒免職となるまで、右同署同係員(次席)として右同様の職務を担当していたもの、

被告人町田甫介は、大蔵事務官で昭和三三年九月一日以降同三七年六月一六日本件収賄事件により懲戒免職となるまで、右同署同係員(三席)として右同様の職務を担当していたもの、

被告人山本泰昌は、大蔵事務官で、昭和三四年一二月一日以降同三七年六月一六日本件収賄事件により懲戒免職となるまで、右同署同係員として右同様の職務を担当していたもの、

被告人斉藤典男は、大蔵事務官で昭和三五年七月二三日以降同三七年六月一六日本件収賄事件により懲戒免職となるまで、右同署同係員として右同様の職務を担当していたもの、

被告人竹川照男は、大蔵事務官で昭和三四年七月二一日以降本件収賄事件により懲戒免職となるまで、右同署同係員として右同様の職務を担当していたもの、

被告人後藤威は、大蔵事務官で昭和三二年六月二八日から同三五年七月一九日までの間右同署同課(昭和三三年五月末日までは直税課)に、同月二〇日以降本件収賄事件により懲戒免職となるまで、練馬税務署直税課にいずれも資産税係員(係長)として右同様の職務を担当していたもの、

被告人吉野佐七は、大蔵事務官で昭和三一年八月一日以降同三六年七月末日までの間、右立川税務署所得税課(同三三年五月末日までは直税課)に、同年八月一日以降本件収賄事件により懲戒免職となるまで荻窪税務署直税課に、いずれも資産税係員として右同様の職務を担当していたもの、

被告人大沢泰一郎は、大蔵事務官で昭和三三年七月一七日より同三六年七月末日までの間、右立川税務署に、同三六年八月一日以降同三七年六月一六日本件収賄事件により懲戒免職となるまで武蔵野税務署に、いずれも所得税課資産税係員として右同様の職務を担当していたもの、

被告人神谷仁子は、大蔵事務官で昭和三四年七月二一日以降同三七年六月一六日本件収賄事件により懲戒免職となるまで、右立川税務署所得税課資産税係員として右同様の職務を担当していたもの、

被告人石村実は、大蔵事務官で昭和三五年七月二三日より同三六年七月末日までの間、右同署同課所得税第一係員として、同年八月一日以降同三七年八月六日本件収賄事件により休職処分に付せられるまで同課所得税第四係員として、所得税の賦課、減免、課税標準の調査、検査及び犯則の取締等の職務を担当していたものである。

ところで、

第一、被告人小山清治郎、同市瀬英男は、共謀のうえ、同小山が個人資産の譲渡人を代理して立川税務署長宛に行う個人の資産再評価税の申告並びに譲渡所得の計算書等の提出にあたり、相被告人小林、同三田、同町田、同山本、同斉藤、同竹川、同後藤、同吉野、同大沢、同神谷及び昭和三六年三月一七日以降同税務署資産税係員として相被告人小林らと同様の職務を担当していた大蔵事務官三島孝司らから、かねて右申告事務の取扱、申告指導並びに譲渡所得の調査等に関し好意ある取り計らいをうけてきたこと及び将来も同様の取り計らいをうけたいための謝礼の趣旨で、

(一)  昭和三五年七月中旬頃、東京都立川市錦町三丁目三〇番地所在の右立川税務署において

(イ) 相被告人三田に対し額面二万円、

(ロ) 相被告人町田に対し額面二万円、

(ハ) 相被告人山本に対し額面一万円、

(ニ) 相被告人竹川に対し額面二万円、

(ホ) 相被告人後藤に対し額面三万円、

(ヘ) 相被告人吉野に対し額面二万円、

(ト) 相被告人大沢に対し額面二万円、

(チ) 相被告人神谷に対し額面一万円、

のいずれも富士銀行調布支店振出の贈答用小切手各一枚をそれぞれ中元名下に供与し、

(二)  同年一二月二八日頃、前記立川税務署において(但し、相被告人三田については都内昭島市中神町四一五番地の同被告人方居宅において、相被告人小林を介し)、

(イ) 相被告人小林に対し額面三万円、

(ロ) 相被告人三田に対し額面二万円、

(ハ) 相被告人町田に対し額面二万円、

(ニ) 相被告人山本に対し額面二万円、

(ホ) 相被告人斉藤に対し額面二万円、

(ヘ) 相被告人竹川に対し額面二万円、

(ト) 相被告人吉野に対し額面二万円、

(チ) 相被告人大沢に対し額面二万円、

(リ) 相被告人神谷に対し額面二万円

のいずれも富士銀行調布支店振出の贈答用小切手各一枚をそれぞれ歳暮名下に供与し、

(三)  昭和三六年七月二〇日頃、前記立川税務署において、

(イ) 相被告人小林に対し額面三万円、

(ロ) 相被告人三田に対し額面二万円、

(ハ) 相被告人町田に対し額面二万円、

(ニ) 相被告人山本に対し額面二万円、

(ホ) 相被告人斉藤に対し額面二万円、

(ヘ) 相被告人竹川に対し額面二万円、

(ト) 相被告人吉野に対し額面二万円、

(チ) 相被告人大沢に対し額面二万円、

(リ) 相被告人神谷に対し額面二万円、

(ヌ) 三島孝司に対し額面二万円、

のいずれも城南信用金庫砧支店振出の贈答用小切手各一枚をそれぞれ中元名下に供与し、

もつて、それぞれ相被告人小林、同三田、同町田、同山本、同斉藤、同竹川、同後藤、同吉野、同大沢、同神谷の各冒頭記載の職務並びに三島孝司の前記職務に関して贈賄した。

第二、被告人市瀬英男は、右第一掲記と同旨の謝礼として相被告人小林、同三田ら立川税務署資産税係員に供与する趣旨で、

(一)  相被告人三田同町田とその収受を共謀した相被告人小林に対し

(イ) 昭和三六年五月末頃、前記立川税務署において、現金一〇万円、

(ロ) 同年一〇月末頃、小山礼児を介し、同都立川市一丁目一二五番地所在の飲食店「桝田屋」において、現金一〇万円、

(二)  相被告人三田に対し、昭和三五年一〇月下旬頃、前記立川税務署において、現金五万円、

をそれぞれ旅行寄附金名下に供与し、もつて、相被告人小林、(ほか、同三田、同町田を含む)及び同三田の各冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第三、被告人松山一郎は、かねて相沢昭次を介し、尾崎マツから、同女の夫尾崎市五郎が昭和三六年一二月尾崎スミよりその所有にかかる同都北多摩郡国分寺町恋ヶ窪所在の畑三反七畝等の不動産の贈与を受けるに当り賦課さるべき贈与税の減免方を立川税務署係員に交渉して欲しい旨の依頼を受けていたが、昭和三六年一二月初頃、同都立川市錦町二丁目八七番地所在の料理店「三幸」に、相被告人竹川、同山本、同斉藤の三名を招待し、その席上右の贈与税の申告をなした暁にはその税額をできる限り減免してもらいたい旨の請託をなしたうえ、その謝礼の趣旨で、

(一)  同年一二月下旬頃、同市柴崎町三丁目一五番地所在の中華料理店「華盛楼」において、相被告人竹川に対し、現金一〇万円、

(二)  右同日前記立川税務署附近路上において、いずれも相被告人竹川を介し、

(イ) 相被告人斉藤に対し、現金一〇万円、

(ロ) 相被告人山本に対し、現金一〇万円、

を各供与し、もつて、いずれも相被告人竹川、同斉藤、同山本の各冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第四、被告人坂元輝夫は、

(一)  判示冒頭記載の相続に伴い、篠む免、坂元繁子が共謀のうえ、同人らにおいて練馬税務署長宛相続税の申告を行うにあたり、相被告人後藤から右の申告手続上種々懇切な指導をうけるとともに、申告書の作成その他申告税額の計算等につき好意ある取り計らいをうけたこと等に対する謝礼の趣旨で、右後藤に対し、昭和三七年三月初旬頃病気見舞名下に現金五万円を供与した際、その情を知りながら、都内練馬区小竹町二丁目八番地篠む免方において同女の依頼により同女から右金員を受け取り、田中久一とともにこれを同都北区田端町八番地の相被告人後藤の自宅に持参して同被告人に交付し、

(二)  右篠む免、坂元繁子が共謀のうえ、繁子において右(一)同様の趣旨で相被告人後藤に対し、同年三月中旬頃病気見舞名下に現金一〇万円を供与した際、その情を察知しながら、右繁子を前記篠む免方から相被告人後藤の自宅まで道案内するとともに同女と一緒に相被告人後藤に面接する等同女の介添役的行動を行い、

もつて、篠む免、坂元繁子の相被告人後藤に対する各贈賄を容易ならしめてこれを幇助した。

第五の一、被告人谷コトは、冒頭記載の相続に伴い、立川税務署長宛に右相続税の申告を行うにあたり、陰山久雄と共謀のうえ、相被告人後藤から右申告の手続上種々懇切な申告指導をうけるとともに、将来も同様の指導をうけたい趣旨のもとに、その謝礼として、同被告人に対し、昭和三四年一二月頃、都内立川市曙町一丁目一五二番地所在の被告人谷の自宅において現金五万円を供与し、もつて、相被告人後藤の冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第五の二、被告人谷コト、同三田智三郎は、共謀のうえ、前掲第五の一記載の相続税の申告等をするにあたり、相被告人後藤から右申告の手続上種々懇切な指導をうけるとともに、申告書の作成その他申告税額の計算等につき被告人谷に好意ある取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨で、被告人三田が相被告人後藤に対し、昭和三五年三月中旬頃、前記立川税務署内において、現金一五万円を供与し、もつて、同被告人の冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第六、被告人西吉昭太郎は、

(一)  かねて自己が代理して練馬税務署長宛に行つていた相続税並びに個人の資産再評価税の申告及び譲渡所得の計算書等の提出にあたり、相被告人後藤から、右申告事務の取扱、申告指導並びに相続税額及び譲渡所得の調査等に関し種々好意ある取り計らいをうけてきたこと及び将来も同様な取り計らいをうけたいための謝礼の趣旨で、相被告人後藤に対し、

(1) 昭和三五年一一月中旬頃、同都豊島区池袋東一丁目一〇二番地所在の料理店「七福」において、現金三万円、

(2) 同三六年九月初旬頃、右同番地所在のコーヒー店「耕路」において、現金三万円、

(3) 同年一一月初旬頃、前同所において、現金三万円、

(4) 同年一一月中旬頃、前記相被告人後藤の自宅において、現金二万円、

(5) 同年一二月初旬頃、前同所において、現金五万円、

(6) 同三七年三月初旬頃、前同所において、現金七万円、

(7) 同年五月末頃、同都豊島区池袋西武百貨店において、現金二万円、

を各供与し、もつてそれぞれ相被告人後藤の冒頭記載の職務に関して贈賄し、

(二)  税理士業務を行う資格を持たないのに拘らず、昭和三六年二月二八日頃から同三七年四月一一日頃の間同都練馬区下石神井二丁目一、三五八番地の自宅に不動産研究所と称する事務所を設け、別紙犯罪一覧表記載の如く渡辺昌寿ほか四九名の依頼を受け、同人らの個人の資産再評価税申告書兼譲渡所得計算書、所得税の確定申告書及び相続税の申告書等の税務書類を作成し、これを同区栄町二三番地所在練馬税務署長宛に提出し、以て税理士業務を行つた。

第七、被告人小川二三は、かねて不動産譲渡人の依頼に基き、これを代理して練馬税務署長宛に行つていた個人の資産再評価税の申告及び譲渡所得の計算書等の提出にあたり、相被告人後藤から右申告事務の取扱、申告指導並びに譲渡所得の調査等に関し、種々好意ある取り計らいをうけてきたこと及び将来も同様な取計らいをうけたいための謝礼の趣旨で、相被告人後藤に対し、

(一)  昭和三六年七月頃、同都豊島区池袋東一丁目一〇二番地所在のレストラン「ホワイトベア」において、現金一〇万円、

(二)  同三七年二月初旬頃、新宿区歌舞伎町二一番地所在の地球会館内において、病気見舞名下に、現金五万円、を各供与し、もつて、それぞれ相被告人後藤の冒頭記載の職務に関し贈賄した。

第八、被告人森田憲一は、

(一)  石川吉勝ほか七名が西武鉄道株式会社に対し、同人ら所有の不動産を売却したことに伴い、立川税務署長宛に提出すべき個人の資産再評価税の修正申告書並びに譲渡所得の計算書を提出するにあたり、昭和三六年八月頃、右石川らの依頼に基き、その手続を代行した際、相被告人三田から右申告書の作成その他修正申告手続につき種々懇切有利な指導を受けたことに対する謝礼の趣旨で、同月下旬頃、都内昭島市中神町四一五番地の同人の自宅において、同人に対し、現金三万円を供与し、もつて、相被告人三田の冒頭記載の職務に関して贈賄し、

(二)  不動産譲渡人の依頼によりこれを代理し、或いは自己が不動産譲渡人として立川税務署長宛に行つた昭和三五年度の資産再評価税の申告ならびに譲渡所得の計算書等の提出にあたり、相被告人町田から、申告書の作成その他申告指導につき種々好意ある取扱いを受けたこと等に対する謝礼の趣旨で、同三六年三月下旬頃、同都青梅市日向和田附近を進行中の自動車内において、相被告人町田に対し、現金五万円を供与し、もつて、同被告人の冒頭記載の職務に関して贈賄し、

(三)  原豊等が、昭和三五年八月頃東京都住宅普及協会に対しその所有不動産を売却したことに伴い、同三六年三月一五日までに立川税務署長宛提出すべき個人の資産再評価税の申告書並びに譲渡所得の計算書を作成提出するにあたり、右原豊らからの手続の代行を依頼された際相被告人吉野から、右申告書等の作成その他申告手続につき種々懇切有利な指導を受けたことに対する謝礼の趣旨で、同月中旬頃、同都武蔵野市境南町三丁目八四九番地の相被告人吉野の自宅において、同人に対し、現金五万円を供与し、もつて相被告人吉野の冒頭記載の職務に関して贈賄し、

(四)  昭和三六年三月一四日付で立川税務署長宛に提出した自己の同三五年分所得税確定申告書に関し、同三六年八月頃から、相被告人石村より、右所得の実額調査をうけるにいたるや、その調査上自己に有利な取り計らいを得たいための謝礼の趣旨で、同被告人に対し、

(イ) 右同年九月一八日頃、埼玉県所沢市上山口二、一九一番地の料亭「堤新亭」において、二、七五六円相当の饗応をなし、

(ロ) 同年一〇月三日頃、同市所沢五八〇番地の料亭「新むさし」において、三、〇八七円相当の饗応をなし、

(ハ) 右同月一一日頃、前同所において、二、七八二円相当の饗応をなし、

(ニ) 右同月一三日頃、同市大字北野字河久保一、三三七番地の一の料亭「島田」において、二、一四六円相当の饗応をなし、

(ホ) 右同年一一月四日頃、東京都青梅市一、三五三番地の割烹旅館「ふじ屋」において、五、〇六九円相当の饗応及び現金五千円を供与し、

もつて、それぞれ、相被告人石村の冒頭記載の職務に関して贈賄し、

(五)  森田精作ほか三名が昭和三六年一月頃東洋端子株式会社に対し同人ら所有の不動産を売却したことに伴い、同三七年三月一五日までに武蔵野税務署長宛提出すべき個人の資産再評価税の申告書並びに譲渡所得の計算書を作成提出するにあたり、同人らから同三七年二月頃その手続の代行を依頼された際、相被告人大沢から、右申告書の作成その他申告手続につき種々懇切なる指導を受けたことに対する謝礼並びに右森田精作が同三四年五月頃第一土地株式会社にに対しその所有不動産を売却した後、同三五年三月右売却に伴う個人の資産再評価税の申告書等を武蔵野税務署長宛提出した際、真実の売渡価額が一、一〇〇万円であつたにもかかわらず三三〇万円で売却した旨虚偽の申告をしていたところ、その後右税務署における反面調査の結果、真実の売買価額が判明するにいたり、同税務署長宛個人の資産再評価税の修正申告をする必要を生じたため、その修正申告の手続をするにあたり、相被告人大沢から森田精作のためその譲渡所得の計算上有利な取扱を得て所得金額の軽減を計つて貰いたいための依頼の趣旨で、森田精作と共謀のうえ同三七年三月中旬頃、同都三鷹市三鷹駅附近を走行中の自動車内において、相被告人大沢に対し、現金五〇万円を供与し、

もつて同人の判示冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第九、榎本庄作ほか二名は、その所有不動産を後藤不動産株式会社等に売却した際、被告人網代と相計り、所得税額の軽減を企て、右各不動産を同被告人の経営する網代製麦株式会社が真実の譲渡価額以下の価額で一旦買受けた後、これらを更に後藤不動産株式会社等に転売したかのように仮装し、昭和三六年の二月ないし三月に武蔵野税務署長宛にその旨の個人の資産再評価税の申告書並びに譲渡所得の計算書を提出したのであるが、これにより同税務署では同年五月下旬頃、立川税務署に対し、その譲受名義人である網代製麦株式会社につき右譲渡価額等の調査方を依頼し、立川税務署では相被告人三田がその調査の担任者となりこれを調査した結果、前記申告事実はいずれも虚偽の疑いが濃く、過少申告であることが発覚せんとした。そこで、被告人網代、同森田憲一は共謀のうえこれを隠蔽せんと企て、同年六月中旬頃、相被告人三田に対し、相当の金員を提供するかわりに前記申告通りの価額で右網代製麦株式会社が前記不動産を買受けた旨武蔵野税務署に対し調査結果の回答をするよう請託をなし、これを諒承した同被告人をして、その事実がないのにかかわらず、同会社の帳簿等により前記請託の趣旨の通りの売買事実を確認した旨の虚偽の調査回答書を作成させ、これをその頃武蔵野税務署に送付させて職務上不正な行為をなさしめた後、その謝礼の趣旨で、同月二〇日頃、前記相被告人三田の居宅において、同人に対し、現金一〇〇万円を提供したが、同人が四〇万円を返却したため、同人に残余の現金六〇万円を供与し、もつて、相被告人三田の冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第一〇、被告人網代は、池田富吉から大住利吉所有の東京都北多摩郡国分寺町国分寺字殿ヶ谷戸三三八番の八及び四三の宅地計二筆(計一〇〇・一坪)及び同所同番の八六三所在の居宅一棟(建坪二〇・五坪)を担保に金策方を依頼され、右土地及び建物の登記済権利証、大住利吉名義の委任状及び印鑑証明書を入手していたのを奇貨として、他より金員を騙取しようと企て、昭和三六年九月七日頃、同郡西多摩郡福生町福生七六七番地吉森正男方において、同人に対し、前記土地及び建物の登記済権利証等の書類を示して、実際は右土地及び建物を大住利吉から買受けた事実はもち論内金の支払の事実もないのに「此の土地と建物とを買取つて二〇〇万円の内金を入れているが、残金を支払わなければならないので、これを担保に融資されたい、二ヶ月以内に返済できなければ土地及び建物の所有権を移転する」旨の虚構の事実を申し向け、右吉森をしてその旨誤信させ、その頃同所において、同人から現金四四〇万円を交付させて、借用名下にこれを騙取した。

第一一、被告人矢嶋武雄は、かねて知合いの相被告人神谷に、判示冒頭記載の遺産相続に関する相続税の申告につき相談を求めていたところ、同人よりその上司である相被告人後藤において、相当の謝礼と引換に右相続税につき非課税措置を講じてもよいのとの意向があることを聞知するや、昭和三四年一一月頃、同都北多摩郡砂川町三、八九四番地の被告人矢嶋の自宅において、相被告人神谷に対し、相被告人後藤に依頼して右謝礼と引換に自己に課税相続財産があるのにかかわらずこれを調査することなく、不正に非課税措置を講じて貰えるよう斡旋して欲しい旨の請託をなし、その頃、相被告人神谷において、これに応じ相被告人後藤に対し、右請託の趣旨の依頼をして斡旋をなし、同人をして右不正な非課税措置を行う旨諒承せしめたことに対する謝礼の趣旨で、相被告人神谷に対し、

(一)  昭和三四年一二月中旬頃、同都立川市富士見町四丁目三番地の相被告人神谷の自宅において、現金一五万円、

(二)  右同月下旬頃、右同所において、現金一〇万円、

を各供与して贈賄した。

第一二、被告人矢嶋武雄、同神谷仁子は共謀のうえ、相被告人後藤に対し、同人が前記第一一記載の請託に応え不正の非課税措置を講ずる旨諒承してくれたことに対する謝礼の趣旨で、同三四年一二月中旬頃、同都立川市錦町二丁目八六番地のレストラン「マズルカ」において、現金五〇万円を供与し、もつて、相被告人後藤の冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第一三、被告人外山幸三は、和地俊治ほか一三名が同人ら所有の土地を昭和三五年一〇月頃日本電信電話公社に売却したことに伴い、同三六年三月一五日までに立川税務署長宛提出すべき個人の資産再評価税の申告書並びに譲渡所得の計算書を提出するにあたり、同人らの依頼に基き、同年一二月頃以降その手続を代行した際、相被告人三田、同吉野、同大沢から右申告手続につき種々懇切なる指導をうけるとともに、譲渡所得金額の計算等右申告書の提出にあたり、右和地らに有利な取計らいを得たいための謝礼の趣旨で、右和地らと共謀のうえ、

(一)  昭和三五年一二月頃、同都昭島市中神町一、一九七番地の旅館「つたや」において、相被告人三田に対し、現金五万円を供与し、

(二)  同三六年三月一〇日頃、同都立川市曙町二丁目一九一番地の料理割烹「初舟」において、

(イ) 相被告人吉野に対し、現金五万円、

(ロ) 相被告人大沢に対し、相被告人吉野を介して現金五万円、

を各供与し、もつて、相被告人三田、同吉野、同大沢の冒頭記載の各職務に関して贈賄した。

第一四、被告人荒畑俊郎は、

(一)  篠田慶作が昭和三五年五月二〇日その所有不動産を他に売却したことに伴い、同三六年三月一五日までに立川税務署長宛に行うべき個人の資産再評価税の申告手続を、同人の依頼により代行するにあたり、同年二月頃、相被告人吉野に対し、右篠田の所得税額を軽減するため譲渡所得の計算上有利な取り計らいを得たい旨懇請したところ、相被告人吉野においてこれを諒承し、右篠田の売却した不動産の譲渡所得の計算上、その譲渡価格より控除すべき取得価格を実際より高額に水増して虚偽の申告を行い、譲渡所得の軽減を図る不正な申告指導を行うと共に、右虚偽の申告書等を作成する等相被告人吉野より、その職務上不正な行為をしてもらつたことに対する謝礼の趣旨で、右篠田と共謀のうえ、同年三月初旬頃、東京都武蔵野市境南町三丁目八四九番地の相被告人吉野の自宅において、同人に対し現金五万円を供与し、

(二)  米軍軍属ジヨン・E・スミスが昭和三五年八月五日その所有不動産を長田清治に売却したことに伴い、同三六年三月一五日までに立川税務署長宛に行うべき個人の資産再評価税の申告手続を、同人の依頼により代行した際、相被告人吉野より、右申告書の作成その他申告手続につき種々懇切な指導をうけたことに対する謝礼の趣旨で、同年三月中旬頃、前記相被告人吉野の自宅において同人に対し現金三万円を供与し、

(三)  大沢敏治と共謀のうえ、西野吉五郎が昭和三六年二月一五日その所有不動産を渡辺菊男に売却したことに伴い、立川税務署長宛に行うべき個人の資産再評価税の申告手続を同人の依頼により代行した際、同年四月頃、相被告人吉野より、右申告手続の指導並びに譲渡所得の計算上種々懇切有利な取り計らいを得たので、これに対する謝礼の趣旨で、同年七月中旬頃、前記相被告人吉野の自宅において、同人に対し、価額金四万円相当のステレオ一台(東京地方検察庁で領置中のもの、東地領第七、一四四号の符号五三八号の一)を供与し、

もつて、それぞれ相被告人吉野の職務に関して贈賄した。

第一五、被告人荒畑俊郎、同清水ムラは、共謀のうえ、被告人清水の冒頭記載の申告手続を行うにあたり、昭和三七年二月頃、相被告人大沢に対し、被告人清水の所得税額の軽減を図るため譲渡所得の計算上できる限り有利な取り計らいを得たい旨の請託をなし、相被告人大沢においてこれに応じたことに対する謝礼の趣旨で、同人に対し、

(一)  同年二月中旬頃、同都府中市栄町三丁目二八番地の相被告人大沢の自宅において、現金五万円、

(二)  同年二月下旬頃、右同所において、現金三〇万円、

を各供与し、もつて、それぞれ相被告人大沢の冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第一六、被告人小林秀夫は、

(一)  相被告人小山清治郎、同市瀬英男の両名から、前掲第一記載のとおり、同人らがいずれも同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) 第一の(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に額面三万円の贈答用小切手一枚、

(ロ) 第一の(三)記載の日時、場所において、中元名下に額面三万円の贈答用小切手一枚、

(二)  相被告人市瀬英男から、前掲第二記載のとおり、同人が同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、いずれも相被告人三田智三郎、同町田甫介と共謀のうえ、いずれも旅行寄附金名下に、

(イ) 第二の(一)の(イ)記載の日時、場所において、現金一〇万円、

(ロ) 第二の(一)の(ロ)記載の日時、場所において、小山礼児を介し、現金一〇万円、

の各供与を受け、もつてそれぞれ冒頭記載の自己(右(二)については相被告人三田、同町田の分を含む)の職務に関して収賄した。

第一七、被告人三田智三郎は、

(一)  相被告人小山清治郎、同市瀬英男の両名から、前掲第一記載のとおり、同人らがいずれも同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) 第一の(一)記載の日時、場所において、中元名下に額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ロ) 第一の(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ハ) 第一の(三)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(二)  相被告人市瀬英男から、前掲第二記載のとおり、同人が同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、その(二)記載の日時、場所において、旅行寄附金名下に、現金五万円、

(三)  相被告人森田憲一から、前掲第八の(一)記載のとおり、同人が同記載の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、現金三万円、

(四)  相被告人森田憲一、同網代孝一の両名から、前掲第九記載のとおり、同人らが、同記載の如き職務上不正な行為をしたことに対する謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、現金六〇万円、

(五)  相被告人外山幸三らから、前掲第一三記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、その(一)記載の日時、場所において、現金五万円、

の各供与を受け、もつて、いずれも冒頭記載の自己の職務に関し収賄した。

第一八、被告人町田甫介は、

(一)  相被告人小山清治郎、同市瀬英男から、前掲第一記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) 第一の(一)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ロ) 第一の(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ハ) 第一の(三)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(二)  相被告人森田憲一から、前掲第八の(二)記載のとおり、同人が同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、現金五万円、

(三)  税理士芝村隆方の事務員で同税理士の行う相続税等の申告手続等を補佐していた高梨悌二から、同人が昭和三五年初頃以降被告人町田から相続税等に関する申告ならびに申告税額の計算、調査等に関し、種々懇切なる申告指導をうけると共に、有利便宜な取り計らいを受けてきたこと、および将来も同様な取り計らいを受けたいための謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、同年六月末頃、前記立川税務署内において、現金三万円、

の各供与を受け、もつて、いずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄した。

第一九、被告人山本泰昌は、

(一)  相被告人小山清治郎、同市瀬英男から、前掲第一記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) 第一の(一)記載の日時、場所において、中元名下に、額面一万円の贈答用小切手一枚、

(ロ) 第一の(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ハ) 第一の(三)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(二)  相被告人松山一郎から、前掲第三記載のとおり、同記載の如き請託をうけたうえ、同人がその謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、その(二)記載の日時、場所において、相被告人竹川を介し、現金一〇万円、

(三)  昭和三六年二月一七日死亡した中野篩絹株式会社社長中野清蔵の遺産相続に伴い、その相続人中野清が同年八月一七日立川税務署長宛に相続税の申告を終了した際、右中野清、同人の意をうけて同申告をした同会社経理課長の山川清蔵、同人より同申告について相談をうけていた相被告人吉野が共謀のうえ、右申告手続につき被告人山本から種々懇切な指導をうけると共に、申告書の作成等に関し、右中野清のため有利な取り計らいをうけたことに対する謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、相被告人吉野より、同三七年一月下旬同都武蔵野市境八九四番地の相被告人吉野の自宅において、現金五万円、

の各供与をうけ、もつて、いずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄した。

第二〇、被告人斉藤典男は、

(一)  相被告人小山清治郎、同市瀬英男から、前掲第一記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) 第一の(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ロ) 第一の(三)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(二)  相被告人松山一郎から、前掲第三記載のとおり、同記載の如き請託をうけたうえ、同人がその謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、その(二)記載の日時、場所において、相被告人竹川を介し、現金一〇万円、

(三)  昭和三六年一月一九日父琢造の死亡によりその遺産を相続することとなつた野口巌及び同月三〇日父辰次郎の死亡によりその遺産を相続することになつた田中喜一郎の両名が、相被告人吉野の指導をうけて同年七月にそれぞれ立川税務署長宛に各相続税の申告をしたが、同年一〇月頃から、被告人斉藤において右各申告書に記載洩れの不表現資産を発見しその調査を開始するに至つた際、相被告人吉野らが右調査並びに税額更正手続につき右野口、田中両名に有利な取り計らいを得たいための謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、

(イ) 昭和三六年一〇月二〇日頃、同都北多摩郡国分寺町大字国分寺八五四番地の右野口方において、相被告人吉野から、現金二万円、

(ロ) 同月二二日頃、右同町大字国分寺一、三六八番地の右田中の自宅において、同人と共謀した相被告人吉野から、現金六万円、

(ハ) 同三七年一月中旬頃、前記吉野方において、右野口と共謀した相被告人吉野から、現金五万円、

の各供与を受け、もつて、いずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄した。

第二一、被告人竹川照男は、

(一)  相被告人小山清治郎、同市瀬英男から、前掲第一記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) 第一の(一)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ロ) 第一の(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ハ) 第一の(三)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(二)  相被告人松山一郎から、前掲第三記載のとおり、同記載の如き請託をうけたうえ、同人がその謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、その(一)記載の日時、場所において、現金一〇万円、

の各供与をうけ、もつて、いずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄した。

第二二、被告人後藤威は、

一、(一) 相被告人小山清治郎、同市瀬英男から、前掲第一記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、その(一)記載の日時、場所において、中元名下に額面三万円の贈答用小切手一枚、

(二) 篠む免、坂元繁子から、

(イ) 前掲第四の(一)記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、相被告人坂元輝夫を介し、病気見舞名下に、現金五万円、

(ロ) 前掲第四の(二)記載のとおり、篠む免らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、坂元繁子より病気見舞名下に、現金一〇万円、

(三)(イ) 前掲第五の一記載のとおり、相被告人谷コト及び陰山久雄が共謀のうえ、同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、現金五万円、

(ロ) 前掲第五の二記載のとおり、相被告人谷コト、同三田智三郎が共謀のうえ同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、相被告人三田から、現金一五万円、

(四) 相被告人西吉昭太郎から、前掲第六の(一)記載のとおり、同人が同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) その(1)記載の日時、場所において、現金三万円、

(ロ) その(2)記載の日時、場所において、現金三万円、

(ハ) その(3)記載の日時、場所において、現金三万円、

(ニ) その(4)記載の日時、場所において、現金二万円、

(ホ) その(5)記載の日時、場所において、現金五万円、

(ヘ) その(6)記載の日時、場所において、現金七万円、

(ト) その(7)記載の日時、場所において、現金二万円、

(五) 相被告人小川二三から、前掲第七記載のとおり、同人が同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) その(一)記載の日時、場所において、現金一〇万円、

(ロ) その(二)記載の日時、場所において、病気見舞名下に、現金五万円、

の各供与をうけ、もつていずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄し、

二、相被告人矢嶋武雄、同神谷仁子から、同人らが前掲第一一記載の如き不正の請託をなし、これを諒承したことに対する謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、前掲第一二記載の日時、場所において、現金五〇万円の供与をうけ、もつて自己の冒頭記載の職務に関して収賄した後、相被告人矢嶋には課税すべき相続財産があることを知りながら、その調査を行うことなく、昭和三五年五月二日付の相被告人矢嶋の相続税に関する決議書において、非課税措置を講じ、もつて自己の職務に関して不正な行為をした。

第二三、被告人吉野佐七は、

一、(一) 相被告人小山清治郎、同市瀬英男から、前掲第一記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) 第一の(一)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一通、

(ロ) 第一の(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に、額面二万円の贈答用小切手一通、

(ハ) 第一の(三)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一通、

(二) 相被告人森田憲一から、前掲第八の(三)記載のとおり同人が同記載の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、現金五万円、

(三) 相被告人外山幸三らから、前掲第一三記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、その(二)記載の日時、場所において、現金五万円、

(四) 篠田慶作と共謀した相被告人荒畑から、同人らが、前掲第一四の(一)記載のとおり、請託をうけてこれを諒承し同記載の如き職務上不正な行為をなしたことに対する謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、現金五万円、

(五) 相被告人荒畑から、前掲第一四の(二)記載のとおり、同人が同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、現金三万円、

(六) 被告人荒畑及び大沢敏治の両名から、前掲第一四の(三)記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、ステレオ一台(価額四万円)、

(七) 大沢敏治が昭和三五年中に自己所有不動産を売却した杉本徳一の依頼により、同三六年二月頃、杉本において立川税務署長宛に行うべき個人の資産再評価税の申告手続を代行した際、被告人吉野から、右申告書の作成その他申告指導並びに譲渡所得の計算上種々有利便宜な取り計らいを得たことに対する謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、同年三月中旬頃、前記被告人吉野方において、右大沢敏治から相被告人荒畑を介して、現金五万円、

の各供与をうけ、もつていずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄し、

二、(一) 前掲第一九の(三)記載のとおり、中野清及び山川清蔵と共謀のうえ、同記載の趣旨のもとに同記載の日時、場所において、相被告人山本に対し、現金五万円を供与し、もつて、相被告人山本の冒頭記載の職務に関して贈賄し、

(二) 前掲第二〇の(三)記載のとおり、同記載の趣旨のもとに、相被告人斉藤に対し

(イ) その(イ)記載の日時、場所において、現金二万円、

(ロ) 田中喜一郎と共謀のうえ、その(ロ)記載の日時、場所において、現金六万円、

(ハ) 野口巌と共謀のうえ、その(ハ)記載の日時、場所において現金五万円、

を各供与し、もつて、それぞれ相被告人斉藤の冒頭記載の職務に関して贈賄した。

第二四、被告人大沢泰一郎は、

(一)  相被告人小山清治郎、同市瀬英男から、前掲第一記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) その(一)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ロ) その(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ハ) その(三)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(二)  森田精作と共謀した相被告人森田憲一から、前掲第八の(五)記載のとおり、同人が同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、同記載の日時、場所において、現金五〇万円、

(三)  相被告人荒畑俊郎、同清水ムラから、前掲第一五記載のとおり、同人らの請託をうけてこれを諒承し、同人らがその謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、

(イ) その(一)記載の日時、場所において、現金五万円、

(ロ) その(二)記載の日時、場所において、現金三〇万円、

(四)  相被告人外山幸三らから、前掲第一三記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、その(二)記載の日時、場所において、相被告人吉野を介し、現金五万円、

(五)  森田太郎が昭和三四年一二月中旬頃自己所有不動産を他に譲渡したことに伴い、立川税務署長宛に行う個人の資産再評価税の申告並びに譲渡所得計算書の提出にあたり、被告人大沢から、申告書の作成その他申告指導上種々好意ある取り計らいを得たことに対する謝礼の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、右森田より、昭和三六年七月一〇日頃被告人大沢の前記自宅において、現金三万円、

(六)  中村豊作、田中彦吉両名から、右中村の父亀吉においてその孫長平に対し、昭和二九年頃不動産を贈与したことに伴う贈与税申告の要否並びにその手続等につき、被告人大沢から懇切なる指導をうけたことに対する謝礼の趣旨で供与するものであることの情を知りながら、昭和三五年一二月初旬頃、被告人大沢の前記自宅において、現金一〇万円、

(七)  森田富市が昭和三五年中に同人所有の不動産を他に譲渡したことに伴い、同三六年三月一五日までに立川税務署長宛提出すべき個人の資産再評価税の申告書並びに譲渡所得の計算書の作成提出にあたり、被告人大沢から、右申告書の作成その他申告指導上種々懇切な取り計らいを得たことに対する謝礼の趣旨で提供してくれるものであることの情を知りながら、同年二月末頃、同都立川市立川駅附近において、右森田から、現金二万円、

の各供与をうけ、もつて、いずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄した。

第二五、被告人神谷仁子は、

(一)  相被告人小山清治郎、同市瀬英男から、前掲第一記載のとおり、同人らが同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(イ) その(一)記載の日時、場所において、中元名下に、額面一万円の贈答用小切手一枚、

(ロ) その(二)記載の日時、場所において、歳暮名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(ハ) その(三)記載の日時、場所において、中元名下に、額面二万円の贈答用小切手一枚、

(二)  相被告人矢嶋武雄から、前掲第一一記載のとおり、請託をうけ、相被告人後藤をして同記載の如き職務上不正な行為を行わしめるよう斡旋をしたことに対する謝礼の趣旨で供与されるものであることの情を知りながら、

(イ) その(一)記載の日時、場所において、現金一五万円、

(ロ) その(二)記載の日時、場所において、現金一〇万円、

の各供与をうけ、もつて、いずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄した。

第二六、被告人石村実は、相被告人森田憲一から、前掲第八の(四)記載のとおり、同人が同記載の趣旨のもとに供与するものであることの情を知りながら、

(一)  その(イ)記載の日時、場所において、二、七五六円相当の饗応、

(二)  その(ロ)記載の日時、場所において、三、〇八七円相当の饗応、

(三)  その(ハ)記載の日時、場所において、二、七八二円相当の饗応

(四)  その(ニ)記載の日時、場所において、二、一四六円の饗応

(五)  その(ホ)記載の日時、場所において、五、〇六九円の饗応並びに現金五千円、

の各供与をうけ、もつて、いずれも冒頭記載の自己の職務に関して収賄した。

(証拠)

第一、証拠の標目(略)

第二、判示認定の事実に関する争点のうち、特に重要と思われるものについて、次のとおり判断する。

一、相続税等の申告指導は、税務署所得税課資産税係員である被告人らの職務の一つではあるが、この職務は、これを内容的に分析すれば「主として事務処理的内容のもの」であつて、「独立の権限を有する内容のもの」ではない。国と公務員との関係は雇傭であつて、極言すれば、労働力の時間ぎめの売買契約であるから、被告人らはその職務の行使については、単に一定の勤務時間に一定の場所でこれを行なうことを義務づけられているに過ぎない。これを超えて職務を行なう義務はありえない。殊に、申告指導なる職務にして、右のように「主として事務処理的内容のもの」とすれば、この職務の性格からいつても、その職務の行使は、この勤務時間、この勤務場所を離れては成立しえないものである。従つて、申告指導に関する被告人らの行為は、勤務時間内に、勤務場所においてなされるかぎり、右被告人らの職務に属するが、勤務時間外に、自宅などの勤務場所外でなされる場合には、その職務に属しない。後者の場合、被告人らにおいてこれが対価として報酬をうけたとしても、いわゆるアルバイトであり、国家公務員法ないし税理士法に違反するは格別、賄賂罪にいう賄賂にあたらない旨の弁護人らの主張について(弁護人寺村恒郎ほか一名の弁論要旨第一、弁護人館孫蔵の弁論要旨三(2)、なお、弁護人石川滋ほか一名の弁論要旨一〇(3))

(一)(イ) 税務署事務分掌規程(昭和三一年七月一三日東京国税局長訓令第九号、第四章第一四条)によると、東京国税局管内における税務署所得税課資産税係の事務は(1)相続税、贈与税、個人に対する再評価税、財産税、有価証券取引税及び通行税(以下「相続税等」という)の申告指導に関すること、(2)相続税等の賦課及び減免に関すること、(3)相続税等の課税標準の調査及び検査並びに犯則の取締に関すること(ただし、調査査察部の所掌に属するものを除く)、(4)相続税等及び富裕税にかかる再調査、審査及び訴訟に関すること、(5)相続税等にかかる資料の収集整理に関することなどの事項であることが認められる。

(ロ) 氏家定次の検察官に対する昭和三七年七月二三日付供述調書及び塩沢精一作成の同年六月二一日付報告書によれば、相続税に対する申告指導は、市町村長からの死亡通知書に基づき、関係資料を整備し、選別のうえ、要調査事案について行ない、その方法としては、相続人を税務署に呼び出し、或いは、相続人に対し照会書を発すること等であり、贈与税に対する申告指導は、資産の異動に関する調査資料に基づき、選定のうえ、調査対象事案につき、関係者を税務署に呼び出して調査を兼ねた面接指導を行なうこと等であり、譲渡所得(個人の資産再評価を含む)については、譲渡資料を整備し、選別のうえ、調査対象事案は、納税相談に応ずる程度の抽象的申告指導ないし調査を兼ねた具体的申告指導を行なうこと等が認められる。他方、右申告指導について、資産税係員であつた被告人らが、実務上どのように理解していたかをみると、被告人小林は、「相手方に申告の方法、内容を説明し、できる限り正確な内容の申告を行なうよう指導するが、実際の申告書の作成は、事実知らない人には困難なことなので、実際上は、係が資料にある範囲内でできる限り相手の財産を追求して申告書を作りあげるのが実状である」と説明し、さらに、申告者の申立どおりの金額で、申告書を作成する抽象的申告指導と、申告者の申立について追求したうえ、申告書を作成する具体的申告指導との区別を明らかにしており(昭和三七年七月三日付検察官調書)、被告人後藤は、「申告者に対して申告書の書き方や法文の説明をして教えたり、財産の評価方法等を説明指導して適正な申告をさせるようにすることをいう」と供述しており(同年六月一五日付検察官調書第二項)、被告人三田は、「納税者に代つて申告書の記載を代行したり、申告についての相談、指導することである」と供述し(同日付検察官調書第五項)、被告人吉野は、「申告書の提出を納税者に慫慂したり、また申告書の作成方を指導し、同時に適切な内容の申告をなすよう慫慂することであるが、結局は、納税者の陳述を聞き不審な点は問い質しつつ、係の者が申告書を書いてやる結果となつた」と説明している(同年六月二三日付検察官調書第二項)。

(二)(イ) 叙上の事実及び租税制度一般からみて、東京国税局管内における税務署所得税課資産税係の行なう申告指導とは、申告納税制度のもとにおいて、納税者に対し、適正な申告をなさしめるために、その相談に応じ、財産の評価、申告書の作成等の方法を教え、ときには申告書の記載を代行して指導するなど適正な申告実現のため行政指導上必要な一切の行為を指称し、この指導には、抽象的申告指導と具体的申告指導があり、後者の場合には、単に申告者の申出を聞くばかりではなく、その当否等について追求を行ない、適正な申告をさせていることが認められる。そうとすれば、申告指導なるものは、申告書の代筆の如き単なる労務の提供ないし税務職員としての知識、経験を提供するに止まるものではなく、納税者に適正な納税の申告をさせ、以て、課税の基礎を確立するための行政作用であつて、課税資料の収集、調査などとともに、適正な課税を行なうための税務事務の起点をなし、調査事務に先行し或いはこれと併行して行われ、右指導の良否が当該課税の適正及び税務行政一般に及ぼす影響の極めて大きいことが認められ、申告納税主義をとつている税法制下においては、資産税係員の職務として、最も重要且つ不可欠のものの一つといつても過言ではないと考える。

(ロ) 申告指導なる職務権限は、その行政目的達成のため、それぞれの必要性に即して、適宜執行されるべきものである。従つて、その多くは人事院規則の定むる勤務時間に税務署で行われるであろうが、場合によつては、右勤務時間外に税務署外で行われることもありうるのである。この場合、右行為がいわゆる勤務時間外等で行われていることは、その職務執行性をいささかも阻害するものではない。けだし、この行為は国の事務に関して行われているからである。そして、弁護人らの主張する、いわゆる勤務時間・勤務場所なるものは、使用者としての国が公務員に対して労務給付を求める場合、その権利の問題としては極めて重要な基準であるが、ここで問題となつているのは、使用者側で労務給付を求めるのではなく、公務員が既にいわゆる勤務時間外等で行なつているある行為が、職務行為にあたるかいなかであつて、この問題で、いわゆる勤務時間等が果たす作用は、前者のそれとはおのずから異なるものであり、必ずしもその職務執行性を否定するものではない。このようにみてくると、いわゆる勤務時間外に税務署外で行われたある行為が、職務行為にあたるかいなかは、その行われた時・場所がいわゆる勤務時間・勤務場所であるかいなかによつて形式的にこれを判断すべきものではなく、当該行為をその主観・客観両面に亘り実質的に検討して国の事務に関するものといいうるかいなかによつてこれを判断すべきものであると考える。この場合、考慮すべき主要な基準は、(a)当該行為が行われた経緯、換言すれば、同行為は職務を担任しているが故にその職務に関して行われたものであるかいなか(但し、自発的のものであるかいなかはこれを問わない)、(b)同行為がその行われた時間・場所は別としてそれ自体職務の範囲内のものであるかいなか、(c)当該行為の結果と国の事務との関連性の有無であろう。

(ハ) 関係証拠によれば、被告人大沢、同吉野ら(以下単に被告人らと略称する)が行なつた申告指導の中には、いわゆる勤務時間外に納税関係者の求めにより自宅で行なつたもののあることは、弁護人らの指摘するとおりである。この場合、被告人らの行為にして、その主観、客観両面に亘つて検討の結果、若し職務を離れ全くの一私人としてこれに関与したと是認しうるような特別の事実―寺村弁護人の設例、例えば現にある公務を担任している公務員が、その職務上取り扱つている事項に関して雑誌社から依頼されて論文を雑誌に寄稿した場合などは、おうむねこの類型に属するといつてよいであろう―があれば、職務外の行為であると認めえないでもない。しかし、(a)関係証拠によれば、被告人らが本件で行なつた指導の対象は、いずれも、被告人らが当時勤務中の税務署が管轄権限をもつ相続税等の納税申告案件であつて、税務署の事務分配では、被告人らの所属する資産税係の担任事件であること、及び、右関係納税者らが被告人らに右の指導を求めたのは、被告人らが所轄税務署員、特にその関係税務の担任職員であるが故であり、被告人らもこの間の事情を了知してその指導に当つたものであることが認められる。そうとすれば、この指導は、国の事務としての税務事件に関して行われており、受動的ではあるが、職員としての地位に基いたものとみるのが相当である。(b)また、関係証拠によれば、被告人らが右の指導において行なつた所為は、単に申告に関する一般的解説というが如き程度のものではなく、事案に立ち入つた具体的な指導であり、その殆どは申告書まで作成していることが認められ、しかもこの指導なるものは、内容について―その行われた時・場所はしばらく別として―これをみれば、税務署事務分掌規程が定めている申告指導のそれにあたつており、職務の行使そのものである。そして、この指導は、前記認定のとおり、職務権限をもつている者によつて、その所轄管内の納税者に対して、前記の如き性格をもつ案件についてなされているのであるから―その行われた時・場所の如何に拘らず―同案件に関する税務とは密接不可分の関係に立ち、申告自体についてはいうに及ばず、爾後の税務に対しても影響力をもつていることはここで改めていうまでもないことである。特に、右指導において、申告書等が作成された場合には、筆跡その他により、職員によつて処理されたことが判明し、税理士など部外の者が作成した書類と異なり、既に職員によつて審査された条件として取り扱われ、ひいては税務を左右する可能性が一段と強いことは敢えていうまでもないことであろう―さればこそ被告人らに右の指導が求められたのである。そうとすれば、被告人らの行なつた右指導なるものがその対象案件に関する税務に対してもつ影響力―はそれがたとい勤務時間外に自宅で行われていても―弁護人らの主張する勤務時間内に税務署で行われたものとこれを区別すべき理由はすこしもない、といつても決して過言ではあるまい。(c)以上で認定したところによれば、被告人らの行なつた右指導の性格は、被告人らがその行為を行なつた経緯といい、指導の対象と被告人らの職務との関係といい、同指導が対象案件に関する税務に及ぼす影響といい、そのいずれの点から考えても、これを弁護人らが主張するように、単に、一私人としての行為に過ぎないとすることは決して相当な見方ではなく、この行為はまさに国の事務に関するものとしてその公正を保持しなければならない範ちゆうにあるものである。そうとすれば、この行為は、刑法にいう職務に関する行為にあたり、これに対する対価が賄賂であることはいまさら多言を要しない。

(三) 以上の理由により弁護人らの主張はこれを採用しない。

二、被告人坂元が、篠む免、坂元繁子と共謀のうえ、相被告人後藤に対し、二回にわたり、現金計一五万円を贈賄したとの事実について、

検察官は、被告人坂元につき、単独犯として起訴し、後に、これを訴因変更したうえ篠む免、坂元繁子との共同正犯を主張している(論告要旨七四頁以下)のに対し、同被告人の弁護人らは、被告人坂元と篠家との特異な関係、篠家の財産管理の状況、本件各金員供与の形態、及び、本件の捜査当時の状況などをあげ、同被告人は本件各金員の供与につき幇助犯の責任を負うに止まる旨主張する(弁護人内田博ほか一名の弁論要旨四)。

前掲関係証拠によると、被告人坂元及び繁子は、繁子の養親である篠金四郎、同む免の強い反対を押しきつて結婚したものであり、そのため、被告人坂元夫婦は篠家を離れて生活し、特に、被告人坂元は篠家とは殆ど出入りしていなかつたこと、篠家の財産管理、特に、納税の申告などは金四郎が病身なため、早くから養女繁子が行なつていたこと、本件相続税の申告手続は、たまたま繁子が病気していたため、同人の依頼で、被告人坂元及び田中久一が行なつたものであるが、二人の間では、田中の方が主役であつたこと、本件五万円は、被告人坂元がむ免、繁子から渡され、右田中と同道して相被告人後藤の自宅に赴いているが、その立場は田中の介添役的のものであつて、後藤に対する手交も田中を通じて行われたものであり、また本件一〇万円は繁子が被告人坂元とともに相被告人後藤宅に赴いているが、被告人坂元の立場は、これまた繁子の介添役的のもので、金銭の交付は同女が主役として行なつていること、並びに、本件各金員は、いずれもむ免が出捐したものであり、本件申告における課税財産の大半はむ免のものであつたこと(課税対象となる財産のうち、む免の分は二、三九四万円余、繁子の分は三九〇円余)がそれぞれ認められる。右事実により明らかな、被告人坂元の篠家における地位、本件各金員を供与した役割、動機等を考えると、同被告人の責任は、いずれも判示第四で認定した如き幇助に止まると認めるのが相当であつて、被告人坂元が篠む免、同繁子との共謀を認める同被告人の検察官調書等の記載部分はその供述の経過、及び、前記認定事実に照らし、た易く信用することはできず、ほかに右共謀を首肯せしめるに足りる証拠はない。そこで、被告人坂元に対しては、本件につき、いずれも共同正犯の訴因を認めず、かつ、従犯の認定については、弁護人も弁論において既に主張しており十分予期しているところであるから、訴因変更の手続を要しないものと認め、ここに、従犯を認定した次第である。

三、被告人外山の弁護人の、被告人外山が、公訴事実記載の日時、場所において、雨宮三郎からそれぞれ本件各金員を、相被告人三田ないし同吉野、同大沢に渡して欲しいと頼まれ、その場でこれらを同人に取次いだに止まり、右金額及び交付の趣旨はいずれも知らなかつた旨の主張について(弁護人館孫蔵の弁論要旨)、

前掲関係証拠によれば、被告人外山が、公訴事実記載の日時、場所において、相被告人三田に対し金五万円、同吉野に対し、同大沢の分も含め金一〇万円を手交したこと、右各交付については、事前に被告人外山に相談ないし連絡がなされていたこと、即ち、被告人三田に対する関係では、旅館「つたや」で飲食中に和地俊治らの地主側が、被告人三田に対し、納税の申告手続のことで謝礼をしたいという気持から、被告人外山に相談したところ、同人は二万円ぐらいでよいだろうと答えたが、地主側の気持が強くて金額が増額され、結局、五万円を供与することに決めたこと(被告人外山が、右金額について知つていたことは、証人和地俊治の当公判廷における供述中、193以下、203、248等の各問答によつても明らかである)、相被告人吉野、同大沢に対する関係では、昭和三六年三月初め頃、被告人外山は、同三田から同吉野等に対しても右納税申告に関係があるので、よろしく取り計らわれたい旨の連絡をうけ、前記和地、雨宮らとの話し合いで、被告人三田に対する例に準じ、被告人吉野、同大沢に対しても、五万円ずつ供与することに決し、割烹料亭「初舟」に、同被告人らを招待するに至つたことが認められる。そして、被告人外山が、右納税申告につき、その税理士業務の一端として処理し、その報酬を得たことも明らかであるのみならず、同被告人が検察官に対し、「私自身も三田さんにこれから働いてもらわなければならないと思つていた」と供述している(昭和三七年七月二五日付供述調書)ように、たとえ、当初同被告人の発意でなかつたにせよ、右業務の遂行上本件各金員を供与するに足る動機も存在したものといわねばならない。結局、前掲証拠によつて認められる本件各金員供与の経過、及び、趣旨、被告人外山の果した役割、動機等を勘案すると、被告人外山が、右供与にあたり、その決意及び金額の決定につき強い指導力を及ぼしているとは認められないのであるが、さればといつて、同被告人は弁護人所論の如く、単なるその場の取次に止つたに過ぎないとは到底認められないのであつて、判示事実の如く認定するのが相当であり、弁護人の右主張は採用できない。

四、被告人荒畑が、大沢敏治と共謀のうえ、被告人吉野に対し、ステレオ一台を贈賄し、同被告人がこれを収賄したとの事実(判示第一四の(三)及び同第二三の(四)の(ハ))について、

右事実につき、被告人荒畑の弁護人は、同被告人らが本件ステレオを贈つたとすることは、西野吉五郎の譲渡所得の申告時期からみて、動機的にナンセンスであり、仮に贈つたとしても、被告人吉野に対する餞別にすぎず、同被告人の職務に関係がない旨主張し(弁護人鈴木靖生ほか二名の弁論要旨一の(二))、被告人吉野の弁護人は、本件ステレオは同被告人が買つたものであり、被告人荒畑らから贈られたものでなく、単に右代金の支払が転勤等のために遅延したにすぎない、被告人吉野が同荒畑らから西野の件につき相談をうけたのは、些細な事柄であるから、被告人荒畑らが、本件ステレオの如き高額な品物を供与する動機となりえない旨主張する(弁護人石川滋ほか一名の弁論要旨)。

しかしながら、西野吉五郎が、昭和三六年二月その所有不動産を被告人荒畑及び大沢敏治の仲介により、渡辺菊男に売却したことは、右大沢の証言、西野の検察官調書(特に添付してある売買契約書の写)等から明らかであり、また同年四月頃、右大沢が立川税務署に赴き西野の譲渡所得の申告について、被告人吉野に相談したことがあり、被告人荒畑も、かねて右申告につき、被告人吉野に相談していたことは、右大沢の証言、同人の検察官調書、被告人吉野の検察官調書(昭和三七年八月八日付)及び被告人荒畑の当公判廷における供述、同人の検察官調書(同年七月三一日付)等により明らかである。そして、関係証拠によると、本件ステレオは、被告人吉野が転勤する直前の昭和三六年七月中旬頃、同被告人がステレオを月賦で購入したいとの意向を洩したのが切つ掛けとなつて、同人、被告人荒畑、及び、前記大沢が大和電気商会に赴き、四万八千余円の本件ステレオを、特に、四万円に値引して現金で買い求めたものであるが、その際、被告人吉野が買主となり、右大沢らが代金支払の保証をする形をとつたこと(但し吉野が買主となつていることが、名実ともに事実に合致しているか否かは後で検討する)が認められ、右代金の支払がその頃、西野の出捐した金によつて右大沢らの手で支払われたことは、西野の検察官調書及び大和義正の監察官調書等に徴して明らかである。この後段について、証人大沢は、被告人荒畑に対し一〇回ぐらい代金の支払を催促した旨の供述をするが、この供述は、被告人荒畑の当公判廷における供述、被告人吉野の前記検察官調書等に照らし到底信用できない。そして、叙上の事実と、被告人吉野が、右買受後相当の日時を経過しながら、その支払をなさず、その支払をしない事由について首肯しうべき弁明のないことと、翌三七年一月頃、事が明るみに出ることを虞れ、急きよ買入れた当時本件ステレオの代金を、同被告人において支払つたかの如き事後工作をした経過に鑑みれば、被告人吉野、同荒畑及び大沢敏治が検察官に対し供述していることの方がむしろ自然であつて、これらの証拠によると、被告人荒畑は大沢と共謀のうえ、被告人吉野に対し、西野吉五郎の譲渡所得の申告指導に対する謝礼及び、被告人吉野に対する餞別の気持を含めて本件ステレオを贈る気持になり、被告人吉野も、この事情を察知しながら大和電気商会に赴いて、品物を選択のうえ、その交付をうけたものであつて、被告人吉野が、大和電気商会との間に買主となり、大沢らが保証の形をとつているのは、一つのカムフラージにすぎないと認められる。そして、本件ステレオにつき申告指導に対する謝礼の部分と餞別の部分は区別できないから全体として賄賂性を認めるのほかなく、弁護人らの前記主張はいずれも採用しえない。

五、被告人大沢が、被告人清水ムラの個人の再評価税の申告に関し、不正な指導をしたかいなかについて、

検察官は、本件訴因において、被告人大沢が、「被告人清水が他に土地を購入し、ここにアパートを建築する計画を抱いてのいたのを利用し、同被告人が、既に、右土地を購入し、且つ、同地上に自己の住家のみを建築して居住を開始している旨虚偽申告を行い、租税特別措置法第三五条に基づく居住用財産の買換の場合として、右土地並びに住家の取得価額全額を譲渡価額から控除することにより、譲渡所得の軽減を図るよう不正な申告指導を行うと共に、右虚偽の申告書等を作成した」と主張している。

関係証拠によれば、被告人大沢が、被告人清水ムラの資産再評価税の申告を指導するにあたり、右訴因の如き、真実に反する記載内容の申告書を作成したことは明らかであるが、反面、被告人清水には土地を買入れて、これに居宅(当初はアパートないしアパート兼用を意図していた)を建築する見込があり、いわゆる居住用不動産の買換えの見込みがある場合として、前記措置法の適用が可能であつたと認められる。しかして、このような見込のある場合、税務職員が執務上とるべき事務処理の仕方は、原則として税務署長宛の見積承認申請書を添付する方式によるべきものであるが、実務上においては右承認申請書を添付しない取扱もあり、この取扱は終局的には反面調査等の調査が必ず行われこれにより申告書の内容が是正されうることから発生するに至つたもので、この方式に従うものは、右原則的取扱によるものより少ないが、かなり行われていることは、証人山口精一の供述に照らし明らかであり、また、被告人大沢は、右の実務上の取扱に則つて処理した旨極力弁明し、同人が右見地に立つていたと窺えないでもない。そうとすれば、同被告人の本件申告指導は、税務職員としての執務の当否の問題としては、或いは妥当な方法でなかつたにしても、正、不正の問題としては、未だ不正をもつて断ずべきものとは認め難いので、判示の如く、単に被告人清水、同荒畑からの請託に応じた収賄罪としてこれを認定した。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人小山、同市瀬の判示第一の(一)(イ)ないし(チ)、(ニ)(イ)ないし(リ)、(三)(イ)ないし(ヌ)、被告人谷の判示第五の一、被告人谷、同三田の判示第五の二、被告人森田の判示第八の(五)、被告人森田、同網代の判示第九、被告人矢嶋、同神谷の判示第一二、被告人外山の判示第一三の(一)、(二)、(イ)、(ロ)、被告人荒畑の判示第一四の(一)、(三)、被告人荒畑、同清水の判示第一五の(一)、(二)、被告人吉野の判示第二三の二の(一)、(二)、(ロ)、(ハ)の各共謀による贈賄は、刑法一九八条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に、被告人市瀬の判示第二の(一)、(イ)、(ロ)、(二)、被告人松山の判示第三の(一)、(二)、(イ)、(ロ)、被告人西吉の判示第六の(一)(1)ないし(7)、被告人小川の判示第七の(一)、(二)、被告人森田の判示第八の(一)ないし(三)、(四)(イ)ないし(ホ)、被告人荒畑の判示第一四の(二)、被告人吉野の判示第二三の二の(二)(イ)の各単独による贈賄は、同法一九八条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人矢嶋の判示第一一の(一)、(二)の各斡旋贈賄は、刑法一九八条二項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人西吉の判示第六の(二)の税理士法違反の各所為は、包括して同法五二条、五九条に、各該当する(なお、被告人市瀬の判示第二の(一)、(イ)、(ロ)の各所為はそれぞれ一個の行為で三個の罪名にふれるので、刑法五四条一項前段、一〇条により、それぞれ一罪として犯情の最も重いと認める相被告人小林に対する罪の刑で処断する)ので、所定刑中、被告人外山に対してはいずれも罰金刑を、爾余の被告人らに対してはいずれも懲役刑を各選択し、被告人坂元の判示第四の(一)、(二)の各贈賄幇助は、刑法一九八条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六二条一項に該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択したうえ、同法六三条、六八条四号により従犯の減軽をなし、被告人網代の判示第一〇の詐欺は同法二四六条一項に該当し、被告人小林の判示第一六の(二)(イ)(ロ)の各共謀による収賄は、同法一九七条一項前段、六〇条に(なお、右各所為はそれぞれ一個の行為で三個の罪名にふれるので、同法五四条一項前段、一〇条によりそれぞれ一罪として犯情の最も重いと認める被告人小林を収賄者とする収賄罪の刑に従つて処断する)、被告人小林の判示第一六の(一)(イ)、(ロ)、被告人三田の判示第一七の(一)(イ)ないし(ハ)、(二)、(三)、(五)、被告人町田の判示第一八の(一)(イ)ないし(ハ)、(二)、(三)、被告人山本の判示第一九の(一)(イ)ないし(ハ)、(三)、被告人斉藤の判示第二〇の(一)(イ)、(ロ)、(三)(イ)ないし(ハ)、被告人竹川の判示第二一の(一)(イ)ないし(ハ)、被告人後藤の判示第二二の一の(一)、(二)、(イ)、(ロ)、(三)(イ)、(ロ)、(四)(イ)ないし(ト)、(五)(イ)、(ロ)、被告人吉野の判示第二三の一の(一)(イ)ないし(ハ)、(二)、(三)、(五)ないし(七)、被告人大沢の判示第二四の(一)(イ)ないし(ハ)、(二)、(四)ないし(七)、被告人神谷の判示第二五の(一)(イ)ないし(ハ)、被告人石村の判示第二六の(一)ないし(五)、の各単独による収賄は、同法一九七条一項前段に、被告人山本の判示第一九の(二)、被告人斉藤の判示第二〇の(二)、被告人竹川の判示第二一の(二)、被告人大沢の判示第二四の(三)(イ)、(ロ)の各受託収賄は同法一九七条一項後段に、被告人三田の判示第一七の(四)、被告人吉野の判示第二三の一の(四)の加重収賄は、同法一九七条ノ三第二項に、被告人後藤の判示第二二の二の加重収賄は、同法一九七条ノ三第一項に、被告人神谷の判示第二五の(二)(イ)、(ロ)の斡旋収賄は、同法一九七条ノ四に各該当するところ、以上の被告人らの各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、被告人坂元、同外山を除くその余の被告人らに対し、同法四七条本文、一〇条により、被告人小山については犯情の最も重い判示第一の(一)の(ホ)、同市瀬については、犯情の最も重い判示第二の(一)の(イ)、被告人松山については犯情の最も重い判示第三の(一)、被告人谷については犯情の重い判示第五の二、被告人西吉については刑期及び犯情の最も重い判示第六の(一)、(6)、被告人小川については犯情の重い判示第七の(一)、被告人森田については犯情の最も重い判示第九、被告人網代については重い判示第一〇、被告人矢嶋については重い判示第一二、被告人荒畑については犯情の最も重い判示第一五の(二)、被告人清水については犯情の重い判示第一五の(二)、被告人小林については犯情の最も重い判示第一六の(二)の(イ)、被告人三田については最も重い判示第一七の(四)、被告人町田については犯情の最も重い判示第一八の(二)、被告人山本については最も重い判示第一九の(二)、被告人斉藤については最も重い判示第二〇の(二)、被告人竹川については最も重い判示第二一の(二)、被告人後藤については最も重い判示第二二の二、被告人吉野については最も重い判示第二三の一の(四)、被告人大沢については刑期及び犯情の最も重い判示第二四の(三)(ロ)、被告人神谷については犯情の最も重い判示第一二、被告人石村については犯情の最も重い判示第二六の(五)の各罪の刑に、それぞれ法定の加重をした(被告人網代については同法四七条但書、被告人三田、同後藤、同吉野については同法一四条をも適用)範囲内で、被告人坂元、同外山に対しては同法四八条二項により合算した罰金額の範囲内で、被告人らをそれぞれ主文第一項掲記の刑に処し、情状により、同法二五条一項を適用し、この裁判確定の日から被告人小山、同谷、同小川、同清水、同小林、同石村に対しては二年間、被告人松山、同西吉、同矢嶋、同荒畑、同町田、同山本、同斉藤、同竹川、同神谷に対してはそれぞれ三年間、被告人森田、同網代に対してはそれぞれ四年間、被告人市瀬に対しては五年間、右各懲役刑の執行をいずれも猶予し、被告人坂元、同外山においてその罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置し、被告人吉野が判示第二三の一の(六)で収受したステレオ一台(東京地方検察庁で領置中のもの昭和三七年東地領第七、一四四号の符号五三八号の一)は同法一九七条ノ五前段により同被告人からこれを没収し、被告人小林、同三田、同町田、同斉藤、同後藤、同大沢、同石村の収受した判示各賄賂、被告人山本の収受した判示第一九の(一)、(三)及び被告人竹川の収受した判示第二一の(一)、被告人吉野の収受した判示第二三の一の(一)ないし(五)、(七)の各賄賂は費消等によりいずれも没収できないから、同法一九七条ノ五後段により、被告人小林からその価額合計金一二万六、六六六円、被告人三田からその価額合計金七九万円、被告人町田からその価額合計金一四万円、被告人山本からその価額合計金一〇万円、被告人斉藤からその価額合計金二七万円、被告人竹川からその価額合計金六万円、被告人後藤からその価額合計金一二八万円、被告人吉野からその価額合計金二九万円、被告人大沢からその価額合計金一一一万円、被告人神谷からその価額合計金三〇万円、被告人石村からその価額合計金二万八四〇円をそれぞれ追徴し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用し主文第六項掲記のとおりその負担を定める。(なお、被告人山本が判示第一九の(二)、被告人竹川が判示第二一の(二)により各収受した賄賂はいずれも犯行後相被告人松山を介し尾崎マツに返還されているから没収並びに追徴の言渡はしない。)

(量刑の理由)

本件は、立川税務署資産税係員をめぐる贈収賄を中心としており、係員全員が多数回にわたり納税関係者から金品を収受し、一回の金額が三〇万円ないし六〇万円に及ぶものもあるなど、他の同種事件に較べその範囲、規模が大きく、その腐敗ぶりは納税関係者から金銭を収受することが日常茶飯事の如く扱われているなど徹底していることが看取され、税務行政に大きな汚点を残した極めて遺憾な事件であるといわねばならない。特に、昭和三二、三年頃から東京都下西部地域に生じた異常な土地ブームに伴い、急増するに至つた立川税務署管内の資産税関係の納税申告について、同署資産税係員の被告人らが内職的にその申告指導をして対価を得ていた事例が窺われ、その公務員としての精神を全く没却した態度には看過しえないものがある。いうまでもなく、公務員は全体の奉仕者として、誠実にかつ清潔にその職務に専念する義務を負うのみならず、特に、税務署職員は、強制力を背景に国民の財産権に直接関与するのであるから、職務の遂行にあたつては、納税関係者からの金品の収受など一般納税者の疑惑を招く行為は名目の如何を問わず厳に慎しむべきものであり、このことは累次にわたる国税局長の通達等にも示され、本件収賄にかかる被告人らも熟知していたことと思われる。にも拘らず、本件の如く納税関係者から多額の金員を収受し、被告人らのうちにはこれらを競輪、競馬等の不健全な目的に費消したものも窺われるなどの事態を惹起していることは、被告人後藤が自らを省りみて述懐するように、全く「良心が麻痺していた」というほかはなく、税務署職員である被告人らが本件各行為により、税務職員全体の信用を失墜し、納税制度一般に悪影響を与えたことの責任は甚だ重大である。しかし、他面において、同被告人らが、納税関係者からの金銭による誘惑に陥り易い環境にありながら、待遇のうえでは必ずしも恵まれていなかつたことは事実であり、しかも本件により、被告人石村を除き、いずれも懲戒免職の処分を受け、公務員として通常期待しうる利益を剥奪されていること、及び被告人らがいずれも本件を深刻に反省し悔悟の情を示し、一家の支柱としてそれぞれの職場に就いていることなど有利な情状が認められる。しかしながら、被告人後藤、同三田、同吉野、同大沢は、贈収賄の回数、金額も多く、かつ、要求の疑い、不正ないし不正の疑いを招く行為に出ていること、被告人後藤については係長として部下の指導、監督をする立場にありながら、却つて、係全体を腐敗せしめる結果を招来していることなど本件証拠を精査して看取される犯情に鑑みれば、同被告人らについては、その有利な情状を斟酌しても主文の如き量刑にふみきらざるをえないのである。

贈賄側の被告人らについては、公務員の前歴を有し或いは税理士を職業としていながらも、前述した如き公務員の性格についての自覚を欠き、積極的に、あるいは、安易に本件各金品を供与し、立川税務署職員の腐敗の一因をなしたことの責任は重いといわざるをえず、主文掲記の刑を相当と認めた次第である(但し、被告人外山については、被告人三田に対する贈賄は、地主側の和地らの発意に基くものであり、被告人吉野、同大沢に対する贈賄は被告人三田の申出に基くものと認められ、その態度も当初は消極的であつて、必ずしも贈賄グループの主導的役割を果したものでないことが窺われるので、特に、罰金刑を選択した。)

(無罪部分の判断)

一、被告人三田が同谷と共謀のうえ、相被告人後藤に対し昭和三五年一二月頃現金五万円を贈賄したとの事実(昭和三七年刑(わ)第三、二八七号事件の起訴状第一、六(一)の事実)について、

本件金員の供与につき、被告人三田、同谷は検察官に対し同人らの間で相談した旨供述しているが、同被告人らは公判廷において、右事実をいずれも否定し、検察官に対する右自供の経過につき、被告人三田は当時その場にいた陰山久雄を庇う気持から同人は無関係であり、自分が相談した旨供述したと弁解し、被告人谷は、一旦、陰山と相談したと述べたが、翌日同人と同道して取調を受けた際に、同人がこれを否定している旨検察官から告げられたので、被告人三田と相談した旨供述したと弁解しているのであるが、これら弁解は、右被告人両名及び陰山久雄の各検察官調書に照らし推測される取調の推移等に徴すれば容易に排斥し難いのみならず、右被告人両名及び証人陰山久雄の当公判廷における各供述によれば、当時、被告人三田は被告人谷を本件申告の関係で右陰山から紹介されてから程ない時期であり、そのため被告人谷の従弟で、平素から谷家と親しくしていた右陰山が同席した事実が窺われ、この事実から推測すれば、被告人谷が右陰山になんら相談することなく被告人三田に相談し本件五万円を供与したとすることはいかにも人情として不自然であつて、右陰山が証言する如く、同人は被告人谷から相談を受けていたけれども検察官に対しては事件に捲きこまれることをおそれ自分は無関係である旨の虚偽の供述をしたものとも考えられないではない。そして一件証拠を精査しても、被告人三田が右陰山を通じて本件金員の供与につき相談を受け、或いは、同被告人が本件金員を相被告人後藤に直接交付したとする確証に乏しいので、被告人三田が本件金員の供与につき被告人谷と共謀したものとは断定し難く、結局、被告人三田、同谷及び証人陰山久雄の当公判廷における各供述のとおり、本件金員は被告人谷と陰山が相談のうえ、陰山において相被告人後藤に交付したものであり、被告人三田は単に右金員授受の場に居合わせたにすぎないものと認めるのが相当である。従つて、被告人三田に対する本件公訴事実については犯罪の証明がないといわねばならない。

二、(一) 被告人森田憲二が相被告人石村から所得の実額調査を受けた際、自己に有利な取り計らいを得たいための謝礼の趣旨で、同人に対し昭和三六年八月頃料亭「堤新亭」で現金一万円を供与し相被告人石村の職務に関して贈賄したとの事実(昭和三七年合(わ)第二三九号事件の起訴状第一、四、(三)、(イ)の事実)及び被告人石村が相被告人森田憲一から右記載の如くその趣旨を知りながら、現金一万円の供与を受け自己の職務に関して収賄したとの事実(同起訴状第二、六、(一)の事実)

については、関係証拠により、昭和三六年八月頃、被告人石村が同森田憲一の所得について調査をはじめたこと同び同月下旬頃に、被告人石村、同森田が料亭「堤新亭」に赴き同所で飲食したことが認められる。ところで、本件金員の授受につき被告人石村は当公判廷においてこれを否認し、同人の検察官調書にもこれを認めるに足る供述はないが、被告人森田の検察官に対する昭和三七年七月二三日付調書によると、同被告人は被告人石村、町田と堤新亭に行つて「おいちようかぶ」をした際、その途中で千円札一〇枚を被告人石村に渡したというのであるが、証人坂本幸雄及び被告人石村の当公判廷における各供述によれば、同席した者は町田ではなく坂本幸雄であると認められ、しかも、その際「おいちようかぶ」をしなかつたことは右坂本らの供述及び被告人森田の公判廷における供述に照らして明らかであつて、被告人森田の供述は右事実に反するのみならず、二転、三転して一貫したものがないのでこれをたやすく信用することができない。従つて、本件金員がいついかなる状況で授受され、またどのように費消したか不明というほかはなく、結局本件公訴事実中金員の授受の点はその証明が十分でないといわざるをえない。

(二) 被告人森田憲一、同石村に対する公訴事実では、同人らの間で、右事実のほかに、その後三回にわたり同様の趣旨で饗応のほかに現金計二万円を授受したと主張されており、この事実のうち、各饗応の事実については、既に前記第八の(四)の(イ)ないし(ホ)及び第二六の(一)ないし(五)で判示したとおりであるが、現金の授受については、昭和三六年一一月四日頃「ふじ屋」における現金五千円につき、被告人森田の供述が終始変らず、かつ被告人石村のこれに添うが如き公判廷の供述(第二回公判205問答以下、272問答以下)もあるのでこれを認めるほか、その余の現金授受の事実はいずれも金員授受の時期、状況が不明であり、かつ、本件公訴提起の基礎的資料であつたと推測される被告人森田の供述が前述したように動揺し易く一貫性に欠けるので、未だこれらを認めるに十分でないといわねばならない。しかし、右各金員の授受はその事実が認められる各饗応と併せて行われたものとして起訴せられており、これらは同一の機会における一個の行為と認められるので、特に無罪の言渡をする必要をみないものである。

三、そこで、被告人三田、同森田、同石村に対しそれぞれ叙上の一、及び二の(一)の各事実について犯罪の証明がないから刑事訴訟法三三六条に則り無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 八島三郎 新谷一信 山本博文)

(別紙)犯罪一覧表(略)

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